キューブラー・ロスが唱えた「死の受容5段階説」は有名である。
1.否認。 感情的にまず否定する。
2.怒り なぜ自分が!という怒りの感情
3.取引 先延ばしできないか、奇跡が起こらないかと神仏にすがったりする
4.抑うつ 逃れられないとわかって落ち込む
5.受容 誰にでも起こることとして受け入れる
これですが、大きな失敗をしたときに、その事実を受け入れるまでとよく似ている気がするのである。私だけか。
1.否認 そんなはずはない、間違っていなかったはずだ
2.怒り なにをやってたんだ!オレ
3.取引 なんとか取り繕う方法はないものか
4.抑うつ あーあー。やっちまったなあ
5.受容 やったものは仕方ないので、淡々とあとの措置をしようか。。。
なんでだろうかと考えたが、おそらく、我々がまだお猿さんに近い生活をしていたときは、おそらく、失敗は死に直結していたからではないかと思う。
潜在的に「死=失敗」と刷り込まれているんじゃないかと。
今は、少しの失敗、いや、仮に大失敗までしても命までは取られないことが多い。もちろん、例外はあるけど。。。
そう考えると、失敗しても命までは取られない世の中のほうが良い気がしますねえ。
長い長い時間が経てば、失敗も死とは心理的に別の処理になるんだろうな。
なんとなく、その世の中は、今より良くなっているような気がする。