Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

十で神童、、、

 最近、You Tubeなどを見ていると、幼い子どもが大人顔負けの長台詞をしゃべったり、計算してみせたり、歌を歌ったりする動画がある。 三才くらいの子供は普通は音程がとれないから、きれいに歌を歌えれば驚異的なわけだ。しかし、成人であれば、このようなことは比較的容易くできる人が多いだろう。

 

昔から「十で神童、拾五で才子、二十歳すぎればタダの人」という。この言葉を、私は少々苦く思い出す。

 

小学校6年生の進級前に学校で知能テストをやった。その後、参観日があり母親が注意されたという。私の知能指数が200近くあって、こういう子供は「アカになるかも」というのが担任教師の心配であった。実際に、子供の頃は周囲の子と話が合わないので、友達もおらず、毎日まっすぐ家に帰って弟の相手をしていた。授業中はいつもぼんやりとしており、手も上げず「引っ込み思案」と言われていたが、成績は良く、担任は「勉強はいいからほかの子と遊ばせるよう」に指導していた。

地元の公立進学高校に入学したときの順位は2番。1番は取りそこねた。その2ヶ月後の校内テストで、258名中252番に落ちるという学校史上最大の転落をやった。担任は「勉強していない」といったが、実はある事件がきっかけで精神的に少し異常をきたしていた。しかし、そういうメンタルヘルスについて分かる人は周囲に誰もいなかったから仕方がない。普通に考えれば、いくらなんでもおかしいと思うだろう。2番がわずか2ヶ月でほぼ底辺なのは、普通ではない。母親は異常を感づいたようだが、その当時の地方で精神的におかしくなったということを受け入れるのは難しいことだった。いまとは違って、偏見がすごくあり、精神科を受診したと噂がでればもう大変なことになるような時代だった。

私は1年間ぼーっと過ごしたことで、徐々に回復したようだ。最終的には都内の大学になんとか潜り込んだ。

 

大学卒業後に某経営コンサルタント会社に入社した。おかしな入社試験を受けた。あとでわかったが、その会社は選考を「実は面接を一切考慮せず」そのペーパー試験だけで選抜していた。巧妙な知能指数テストで、特に論理性、判断力に偏った試験だった。コンサルタントは時間チャージを売る。同じ時間内にどれだけの情報を処理できるかが勝負だから、IQが高いことは前提条件だった。

入社してみたら、20人近く入社した同期の学歴は東大、東工大に始まって、早慶上智、横浜国大、都立大、千葉大、一人だけ中央大がいた。自分の大学が一番バカだった(苦笑)。これはまずいなと思った。

入社後1年たったとき、入社試験の成績が突然公表された。1番が慶応で、2番が私だった。皆が「そうだよね」といった。そのぐらい、1番はアタマが良かった。良すぎて、ちょっと世の中では生きづらいタイプだったと思う。そいつとは話が合った。

その後の経過を見ると、どうも1番から3番までは、あまり実績が芳しくなくてもうるさく言われないようだった。少し猶予がもらえる扱いだった気がする。

私の2番もみんなが納得だと言った。しかし、こっちは圧倒的に二流大学卒業だから、そう言われて、かえって恥ずかしい思いをした。実際に「お前、勉強しなかっただろ」と言われたし(苦笑)。東大や早慶にそう言われると、返す言葉もない。

そして何よりも、自分には仕事をする上で一番大事な精神の強さがなかった。私の精神面のもろさは、生まれつきだろうと思う。小さくヒビの入った器に、むりに大量の水を注がれたようなものだと思った。仕事の実績は早慶がやっぱり強かった。世間で優秀だと言われるだけはあると思った。東大は勉強特化型の能力に見えた。

 

十で神童、拾五で才子、二十歳すぎればタダの人。

苦い思い出とともにある言葉である。なんでも早熟が良いとは限らないし、才能などというものは成功をまったく約束しない。才能で成功できるのは、異常なまでのレベルを必要とする。すこし優秀くらいでは、かえって妨げになることだってある。

自分にあった道を探すのが誰にとっても大事だが、それが「才能を活かす道」でないといけないとは思わない。普通にちゃんとやれればいいんじゃないかと思っている。