Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

シンギュラリティが起きたら

最近、chatGPTが話題である。私も、テストアカウントを取得していくつか質問してみたが、まだ相当に出来が悪いと感じる。こちらの意図した質問を正確に理解していないようなのだ。

あるいは、こちらの質問のスキルに問題があるのかもしれない。

 

遅くても2050年代、早ければ数年以内に「シンギュラリティ」が起こる。AIが、人間の知能を越えるのである。

まったくのブラインドであれば、人間が「相手がAIである」と分からないレベルで受け答えができるようになる。

 

実は、今のAIは、ほんとうの意味では「思考能力」を持ってはいない。今のAIの正体はビッグデータである。オリジナルの思考様式を持っているわけではないのだ。

そのビッグデータが、ある限界点を越えると「質」に変化し、単に確率的に判断していたことの積み重ねが、もはや「思考」と区別がつかなくなる。これは、そもそも人間の思考とはなんだろう?という問いを含んでいる。過去のデータに基づいて確率的に高そうなパターンを見つけ出すことが思考なら、ビッグデータのAIはたしかに思考しているといえる。そこには、しかし、人間の抽象的な思考様式はないようにも思える。人間の抽象的な思考の正体は、ビッグデータによる確率論と実態は同じものであろうか?

このへんは、実はまだ良くわかっていない分野でもある。

ひとつだけ言えるのは、AIの進化を止めることはもう出来ないだろう、ということだ。

 

誰もがAIを使えるようになったとき、知識を詰め込むことに意味は残るのか?

あるいは、ほとんどの人がAIを使う=AIに従って生きる、つまりはAIの「消費者」に回る世界というのは、どういうものか。今までの世界は、経済活動にせよ文化活動にせよ「生産」に重きを置いて価値を認めてきた社会であった。AIによって「生産」がまったく均一レベルになる社会が出来たら、それでも人は「差別化」をするだろうか?そのとき、何をもって差別化をするんだろうか。AIに新しい知見を付け加えることができる人は、全人口のなかの、ごくわずかの割合の人しかいないに違いない。

生まれてから死ぬまでAIの「消費者」である人生は、そこにどんな楽しみがあるんだろうか。

 

考えても、正直なところ、まだ未知の世界の問題ばかりだと思う。

それでも、今、いちばん人気があるコンピュータ言語はPythonだ。AIのトレーニングをするのに、もっとも向いているからだ。しかし、おそらく、自己学習能力は人間の書いたPythonを軽々と越えるはずである。

 

その行く末をみたい気持ちは強いのだけど、私の年齢的に、ちょっと難しいと思う。それが残念である。人生の長さは、何かを知るにはまったく十分ではないと思うこの頃ですね。