Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

仮面の告白

仮面の告白三島由紀夫

 

先日もジャニーズ事務所の記者会見があったばかりで、あまりの悪手に「こりゃもうダメだろうな」と思った。しばらく大人しく嵐が過ぎ去るのを待つ作戦だと思うが、海外メディアを中心に簡単に忘れてくれるわけがないので、そのへんの感覚は少しズレていると思うが、それが日本の芸能界なんだろうと思う。だから皆で黙っていたわけだ。

 

で、そういえばそんな小説があったと思いだして、まずは栗本薫の「真夜中の天使」「翼あるもの」などがそのものズバリである。芸能人の男の子がマネージャーにヤオイされてしまう話だな(苦笑)とはいえ、再読は正直きついと思って、他にそんな系統がなかったかと考えて、稲垣足穂を思い出したがタルホ的世界は不謹慎なのでやめておき(苦笑)古典の三島由紀夫を読もうと決めた。実は、この高名な作品をきっちり原典で読んだことがなかったのである。

 

話はご存知のとおり、作者の独白小説であり、今で言うLGBTのGとして生まれた三島がそれゆえの苦しみを吐露した作品である。特に、後半の園子との初恋の顛末は哀れである。ここに描かれた瑞々しい感情はまさに恋だと私は思うし、それが成就しない運命であることに哀しみがある。

たしかに、これは単なる告白を超えて、文学であると思う。

 

本書を読むと、三島がGに目覚めるのは子供の時分からで、特にこれといって事件があるわけでない。そうかもしれない、とある日思い始め、思春期に至ってついに認めざるを得なくなる。

実は、同性愛に関しては近年研究が進んでいて、他の哺乳類たとえばサルとか羊とかであっても、群れの中にだいたい3%くらいの割合で同性愛が発生することがわかっている。普通に考えれば、同性愛は子孫を残せないから自然淘汰されていなくなっていても良いはずであるが、事実はその逆で、一定確率で発生している。どうも、その程度の低い確率で同性愛が発生するほうが、群れの安定にとっては有利なのではないかという推測がされているところなのだそうだ。競争社会の中の例外である。

ただし、それは群れというものを外部から観察したときの話であって、三島のようにその例外に該当してしまった本人のつらさは、これはちょっと想像外のものがある。

 

また、この作品で描かれた重要な点であるが、園子との交流において、三島は明らかに(仮面なのか素顔なのかわからないとしているが)恋愛感情を自覚しているように思われる。しかし、彼の情欲は女性には向かないのである。性愛を感じない恋情があるのか?という話につながるが、三島のはそれである。

人は、恋した相手の性を欲するのが当然であるというのが世間の常識であろうと思うが、実は、それぞれの感情は独立しているものなのかもしれない。「普通の」人は、その2つの感情の接着がうまくいっている。しかし、なかには接着しない人もいる。一言でいうと「肉欲のない恋」である。ある意味で、非常に純粋な恋ではないかと思うのである。ただし、その純粋な恋の道は地獄へ続いているわけだ。

なんとなく、そんな三島の気持ちがわからないではないかな、と。だけど、しかし、つまるところ、私には三島のように割腹してまで殉じる美学なんてないんだよねえ。