この夏は猛暑で、いまだに暑い。で、先にこのブログに書いたように、毎日麦茶をつくってしのいでいた。
この自作の麦茶がなかなか旨くて、冷蔵庫で冷やしてサーモスの水筒に入れて事務所まで持参している。事務所には自動給茶機があって、冷たい緑茶でも珈琲でも飲み放題なのだが、自作の麦茶をがぶ飲みすると、やっぱり落ち着くのだ。
ところが、先週辺りから、このサーモスの水筒で麦茶を飲むと、ちょいと溢れるようになった。なんだ、オレも年を食って口元も締まらなくなってきたのかと情けなくなったが、落ち着いてよく見ると、茶がこぼれているのは私の口元ではなくサーモスの注ぎ口あたりからなのだ。
さっそく調べてみると、どうもパッキンがダメになっており、そこから漏れ出しているらしい。
で、ネットで調べると、サーモスの水筒においてこのパッキンが唯一の消耗品であり、交換部品を売っていることがわかった。アマゾンで調べて一発である。
本日、新しいパッキンに交換して、快適な麦茶ライフを続けているわけだ。
で、昭和生まれのロートルジジイとして思ったのである。
かつて、ネットのない時代。こんな場合は、まずどこの店で買ったかを思い出す。次に、その店にいって「サーモスのパッキンの交換部品はありませんか」という。店頭にはたいてい無いから、メーカーに問い合わせますという話になる。
翌週あたりに店にいくと、メーカーに交換部品があるようです、取り寄せになりますという。そこで、部品をようやく注文する。部品が店に届くのは、さらにその翌週になる。そんなやりとりを想像するだけで面倒くさいので、せっかく買ったサーモスの水筒を捨てて、あたらしいのを買う。これじゃSDGsなんて、実現するわけがないのである。
そう思うと、膨れ上がる運送問題があり人手不足とトラックの環境への悪影響があるけど、それでもネットの発達によって少しエコになった部分もあるわけじゃないかと。
やっぱり、世の中は少しは良くなってきているんじゃないか、と。
「昔はよかった」のは、結構ウソ、というか、年寄りの多分に思い込みであって、本当は今のほうが優れた時代になってきているじゃないかと思うのである。
今の時代、今のやり方、今の価値観、こういったものを否定するような時代おくれの老害にならないようにしないといかんなあ、と感じた次第ですなあ。