Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

愛と暴力の戦後とその後

「愛と暴力の戦後とその後」赤坂真理

 

肩のこらない新書でも久しぶりに読んでみようというわけで。

おもしろそうなタイトルがついているが、つまりは著者が戦後史を自分の目線で見直して、いろいろと思うところをつらうら書き綴ったエッセイである。

著者が、私と年齢1つしか違わない。ほぼ同年代というわけで、子供の頃、70年代、80年代、90年代、その後という時代についての肌感覚が、非常にわかる。

 

まず子供の頃の話として、ドラえもんに出てくる「土管の置いてある空き地」がすでに東京に存在しなかったこちが指摘される。戦後復興をすすめる中での、ごく一時的に出現した風景であろうと。その風景がずっと出てくる点が、ドラえもんの存在に負けず劣らず空想的だという指摘には納得した。

ジャイアンについて、彼の暴力がガキ大将に至るものであり、ガキ大将が存在できなくなっていじめが生まれた、という指摘は傾聴に値する。

70年代のアニメ、科学忍者隊ガッチャマンについて、実は彼らが一人を除いて孤児であること、メンバーがそこで疑似家族をつくって暮らしていること、よく考えると大した武器をもっていないことは、戦後の孤児の大量発生とそこで生まれた任侠の人たちの疑似家族を承継している、という点も大いに同意したい。

90年代のバブルについて。あれについていけなかった、という率直な感想。日本人が、何かを忘れたときに、オウムが出てきた。オウムの特徴は、受験勉強と同様の「カリキュラムをこなして合格すればステージがあがる」という、受験エリートにはなじみのシステムだったこと。それゆえ、高学歴で、社会にでてみると「正しい評価が得られない」と感じるエリート崩れの連中を引き寄せることができた。この指摘もただしい。

最終章に至って、原発への懸念と憲法問題。このへんについては、私とは見解が異なる。私は、憲法に対して過度に幻想を持たない。あんなものは鍋釜包丁と変わらないもので、ようは「使えるか使えないか」だけで判断してよく、使えなければ買い換えろと思っている。なんなら、家電のように他国の憲法をコピペしてもいいと思う。今の憲法だってアメリカさんのでっち上げだし、それでも使えたんだから、問題ないと思っている。使い方が下手なので、もっとうまく使おうという話であれば、同意できただろう。

 

評価は☆☆。

やはり同時代性というものだろうか。かなり同意できる点が多かった。

政治的なスタンスが異なるのは、人として当然なので、特に問題ではない。

 

面白いのは、東京裁判に触れたところで、いわゆる「侵略戦争」の原文が

「war of aggression」である、と指摘している点。

「war of invasion」ではない。

invasionだと、相手を支配する、という点が明確である。しかし、aggressionでは、そういう意味でなく、脅迫とか脅威を与える積極的なプレイなどを意味する。

aggressionに「侵略」という漢字を当てたのは正しくニュアンスを伝えるものなのか?という点である。

これは、鋭い指摘だと思った。

たしかに、我々は英語という英米の概念を、漢字という支那語の言葉に置き換えて理解している。どっちも輸入品じゃないかと言われればそうである。二重に翻訳する段階で意味が歪んだんじゃないかという指摘は、大いに検討する価値があるだろう。

もっとも、これは「意図的に」翻訳している場合もあるからねえ。

UN=UNITED NATIONS 戦時中は連合国、戦後は国際連合と訳してますからねえ。