Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

戦争の法

「戦争の法」佐藤亜紀

 

実家でごろごろと、無為徒食している主人公の若き日の回想録という形式をとっている。

日本海側のN***県が、1975年に突如、独立を宣言する。ソ連がそれに協力する。

主人公はちょいとひねた15歳の少年だが、文学趣味の教師が「最後の授業」をそのままなぞった授業をやるのに呆れてげんなりする。

家は近所の女工を集めた小さな紡織工場で、商売に長けた母は、ソ連兵の進駐に合わせて女郎屋を始める。酒浸りの父は、ある日ふと姿をくらます。

主人公の少年は、射撃の天才の親友千秋とともに、山の中に入る。そこには、ソ連兵に抵抗するゲリラがいるという話だ。そこで、主人公は父と再会する。父は、ゲリラのつくった麻薬を(こっそり村で麻を栽培している)ソ連兵に横流しして、その代金として武器を受け取り、それをゲリラに売るという立派な死の商人になっており、あぶく銭を持っていた。父は息子に手伝えばカネをやるというが、主人公はゲリラになるという。父は、金にならないゲリラになるのは理解できないが、ともかく、ゲリラのアジトに少年二人を連れて行く。そこで少年二人は、「伍長」と名乗る戦場の申し子のような人物と出会ってゲリラとして活動をし始める、、、が、華々しいことは何もない。それでも戦争なので、偶発は必然か、戦闘は起こるのだ。

やがて、この紛争も当然に終わりを迎えて、N***県の独立は瓦解して自衛隊が防衛出動することになるのだが、その最後の戦闘で伍長は死ぬ。

主人公は収容所に入れられて、「普通の生活」に戻るための再教育を受けるのだが、しかし、一度戦争を覚えた感覚は、もとには戻らない。

成績はそこそこ優秀だった主人公は、故郷を出て東京の私大に入学し、そこからフランスに留学する。しかし、そこでも、かつての戦場と同じで、なにかに成り切れない自分を発見するだけだった。

結局、彼は実家に戻るしかなかった。。。

 

 

この著者の本を読んだのは初である。ずいぶん饒舌で細密な文体である。しかし、とても含蓄に富んでおり、さらっと書いている文章の裏に膨大な知識がある。そんじょそこらの仮想戦記やらという、異世界物とは一線を画するって当たり前か(苦笑)。

本格的な思弁小説というにふさわしい。

評価は☆☆。

とても、おもしろい。

 

人はなぜ戦争をするか、というのは過去にいくつも立てられてきた問であるが、実際に戦争に参加する人というのは、そんな問とはかなり無関係であろう。たとえば、召集令状が来たから行く。知人が行くというので自分も行く。実家が嫌になったので行く。大上段に振りかぶった哲学があって参加するわけではない。戦争になれば、命をやり取りするわけだが、実は毎日戦闘があるわけでもなく、ほとんどの日が行軍と駐屯であることも多い。つまりは、歩いて、たまに訓練をして、飯を食うだけの日々である。そこに、突然「死」が現れる。我々の日常生活だって、事故や病気で突然の「死」があるのだけど、戦争にはそれに対して挺身するという、かなり理解の他の側面がある。そんな出来事が重なるうちに、いつしか、戦争用の人格になってしまう。そうなると、もう「日常」には戻れないのだろう。どこかが、徹底的に違ってしまうのだ。

そういう異常事態に対して、どういうわけかすんなり適応する人物が、作中では主人公の父親であり伍長である。彼らは、普通の日常ではまったく役に立たない人物なのだが、戦時下ではすごい能力を発揮する。そして、そんな彼らを横目で見ていたはずの主人公も、実はいつか彼らと同類になっているのだな。

批判的だったはずの連中に、いつしか自分も染まっている、、、、人生で「よくある」こと、だといったら、ペシミズムにすぎるだろうか。