日本降伏の要因について、アメリカは原爆投下だといい、ソ連と中共はソ連対日参戦である、と主張してきた。アメリカは原爆投下を正当化したいし、共産圏はソ連の対日参戦を正当化したいからだ。
しかし、事実は、その両方であろう。
しかし、事実は、その両方であろう。
終戦工作については、大きく2つの勢力があったことを認識しなくてはならない。
対ソ工作を行なってきたのは、重光葵や陸軍であった。
彼らは、小野寺報告(ヤルタ協定を報告)を握りつぶし、重慶工作を拒否することで小磯内閣を倒した。
重慶工作とは何か?
そもそも、大東亜戦争は支那事変がもとであり、日本軍が支那で蒋介石相手に勝手に戦線を拡大したことにはじまる。そして、英米は蒋介石支援が戦争の大義名分であった。
それゆえ、蒋介石と和睦してしまえば、彼らは戦争の継続についての名分を失う。
この着想に基づいて動いたのが重慶工作であるが、これは、陸軍や外務省閥(松岡や重光)には、自分たちの路線が間違いだったことを認めることとなり都合が悪かった。
対ソ工作を行なってきたのは、重光葵や陸軍であった。
彼らは、小野寺報告(ヤルタ協定を報告)を握りつぶし、重慶工作を拒否することで小磯内閣を倒した。
重慶工作とは何か?
そもそも、大東亜戦争は支那事変がもとであり、日本軍が支那で蒋介石相手に勝手に戦線を拡大したことにはじまる。そして、英米は蒋介石支援が戦争の大義名分であった。
それゆえ、蒋介石と和睦してしまえば、彼らは戦争の継続についての名分を失う。
この着想に基づいて動いたのが重慶工作であるが、これは、陸軍や外務省閥(松岡や重光)には、自分たちの路線が間違いだったことを認めることとなり都合が悪かった。
重慶工作は、実は可能性があった。
蒋介石は、ヤルタ会談に呼ばれていない。
そして、トルーマンはソ連参戦を引き出すために、勝手に満州鉄道や港湾の利権をソ連に与えていた。もしも、ソ連が満州に攻め込んで来れば、中共と合同して、蒋介石の国民党は危機に陥る。
それゆえ、蒋介石は、ソ連参戦を食い止めるため、日本と和睦する腹があった。
俗にいう「繆斌工作」であるが、使者の繆斌は、戦後ただちに漢奸として処刑されている。
蒋介石にとっては、米ソに抜け駆けして日本と和睦しようとしたことを知っている人物であるので、都合が悪かった。
蒋介石は、ヤルタ会談に呼ばれていない。
そして、トルーマンはソ連参戦を引き出すために、勝手に満州鉄道や港湾の利権をソ連に与えていた。もしも、ソ連が満州に攻め込んで来れば、中共と合同して、蒋介石の国民党は危機に陥る。
それゆえ、蒋介石は、ソ連参戦を食い止めるため、日本と和睦する腹があった。
俗にいう「繆斌工作」であるが、使者の繆斌は、戦後ただちに漢奸として処刑されている。
蒋介石にとっては、米ソに抜け駆けして日本と和睦しようとしたことを知っている人物であるので、都合が悪かった。
天皇側近の鈴木貫太郎、木戸、東久迩宮などは、ガダルカナル戦以後から「戦争のみによる終戦」は難しいと判断していた。これに、あとで海軍の米内が加わる。
しかし、彼ら側近派の内奏は、対立派閥によって巧妙にもみ消されていく。
天皇陛下がいよいよ危機感をもったのは、やはり原爆投下であっただろう。
終戦の詔勅にも「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ」とある。
一般市民をいきなり大量虐殺するこの兵器について、天皇陛下は「民族の滅亡」とまで述べている。
対ソ参戦で「お前たちのいうことは、皆あてにならぬではないか」となった。
ここで、はじめて側近派が力を持ったのである。
しかし、彼ら側近派の内奏は、対立派閥によって巧妙にもみ消されていく。
天皇陛下がいよいよ危機感をもったのは、やはり原爆投下であっただろう。
終戦の詔勅にも「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ」とある。
一般市民をいきなり大量虐殺するこの兵器について、天皇陛下は「民族の滅亡」とまで述べている。
対ソ参戦で「お前たちのいうことは、皆あてにならぬではないか」となった。
ここで、はじめて側近派が力を持ったのである。
よく、「もっと早く降伏していれば、あのような惨禍はなかった」として、当時の指導部への批判がされることがある。
たしかに、そのように見えるのであるが、ソ連はヤルタ協定に基づく自分の利権を確保するまで、アメリカの停戦命令が出ても無視して戦闘を続けた。
そのソ連の参戦を熱望したアメリカは、ポツダム宣言をスターリンに無断で出している。
ソ連がポツダム宣言に加わったのは8月8日であり、それまでは蒋介石と満州の利権を「よこせ」「やれない」と押し問答をやっていたのである。
連合国が勝手に各々の思惑で動く中、仮に日本の指導部が早期降伏を決心しても、果たしてうまくいったかどうか?私は疑問に思っている。
たしかに、そのように見えるのであるが、ソ連はヤルタ協定に基づく自分の利権を確保するまで、アメリカの停戦命令が出ても無視して戦闘を続けた。
そのソ連の参戦を熱望したアメリカは、ポツダム宣言をスターリンに無断で出している。
ソ連がポツダム宣言に加わったのは8月8日であり、それまでは蒋介石と満州の利権を「よこせ」「やれない」と押し問答をやっていたのである。
連合国が勝手に各々の思惑で動く中、仮に日本の指導部が早期降伏を決心しても、果たしてうまくいったかどうか?私は疑問に思っている。
我々は「なぜ戦争が起こったか」ばかりを問題にしがちである。
あの戦争の始まりは、一見、実にわけのわからない経緯であるからだ。
しかし、戦況が不利になったときに、なぜうまく終結できなかったのか?
あるいは、あれでも、実はうまく終結したほうだったのか?
「もっと早く降伏していれば」は、ないものねだりなのか。
そのあたりについては、もっと議論が必要なのではないかと思う次第である。
あの戦争の始まりは、一見、実にわけのわからない経緯であるからだ。
しかし、戦況が不利になったときに、なぜうまく終結できなかったのか?
あるいは、あれでも、実はうまく終結したほうだったのか?
「もっと早く降伏していれば」は、ないものねだりなのか。
そのあたりについては、もっと議論が必要なのではないかと思う次第である。
誰でも勝ったときは気持ちがいいですが。
世の中をみていると、負け戦の始末の方が、その後の命運を大きく変えるような気がしますなあ。
世の中をみていると、負け戦の始末の方が、その後の命運を大きく変えるような気がしますなあ。