Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

東京都、高校無償化

東京都が高校無償化をすることになりそうだ。公立高校はもとより、私立高校も平均値を出して助成するという。

 

この、私立高も対象というのは、少しモヤモヤしなくもない。公立高校と同額を助成する、としたほうがスッキリすると思う。実際、都内で公立高校がレベル的にあまり高くない、という事情があると思うが、お金持ちの多い(だろう)私立高校に通わせる家庭に、公立校以上の助成をするというのはちょいとひっかかる。

現実に、高校の進学率は98%だそうで、事実上の義務教育化している現状をみると、高校教育の無償化という政策の方向性については、納得感がある。

 

ある有名元実業家が「高校無償化なぞ愚策だ。将来、なんの役にも立たない。それより、職業訓練校などで手に職をつけさせるほうが有益」という主張をされているようですが、私はそれは「後知恵」の類ではないかと思っている。

大人が、あとで人生を省みたとき、そのように思うということは、大いにある。しかし、自分が高校生になったときを考えると「将来の夢」などという作文を書かされるのに当惑していたものだ。社会のことも何も知らないのに、夢もくそもない。いったい、自分が何に向いているのかわからないし、なりたい職業といわれてもイメージがわかないのだ。

これが、たとえば家業を継ぐというようなことが決まっていれば、話は別であろうと思う。自営業の家庭、職人の家庭、それぞれ将来像は描きやすい。

しかし、今やサラリーマンが過半を占める今の社会では、具体的な夢のイメージを描くことは簡単ではないように思う。

高校時代は(あるいは、大学までそうかもしれない)そういう社会に出るためのモラトリアム的な期間として存在しても、別に悪い話ではない。そこらをウロウロしているうちに、なんとなく、運や縁があり、友人との交友があって、どうやら自分はこんな人間であるらしい、、、とおぼろげに理解して、よくわからない社会に向かう。ま、それでもたくさん失敗すると思うが、それでも良いのである。私個人の経験でいえば、20代の失敗なんて、長い人生で何ほどのこともない、まったく気にする必要はない。

そんな余裕を、社会が見てあげることも必要だと思うのだ。

 

少しでも早いうちに、手に職をつけるという発想の根底には、人生において「無駄な時間が存在することは悪」という思想がある。無駄時間が悪というのは、経営管理手法において、もっとも古典的なテイラーの科学的管理手法というやつである。

私は、この考え方を人生において適用する気になれない。

なぜって、人は必ず最後は死ぬからだ。どうせ死んでしまうのなら、生まれてすぐ死んでしまうのが、もっとも「効率的」だという話になりはしないか(苦笑)

そもそも、人生とは無駄を味わうためにこそ存在するものだと思っている。