Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

朱花の恋

「朱花の恋」三好昌子。副題「易学者・新井白蛾奇譚」。

 

今日は朝から日差しがあるものの、北風の冷たいこと、まさに刺すようであった。自転車をこぎだしたものの、荒川まで出てこれはたまらぬとUターン。すごすごと帰宅して、猫とぬくぬく過ごしつつ読書をすることにした。

 

新井白蛾は江戸時代に実在した儒学者であるが、易経の研究で有名で「易の中興の祖」と言われているようだ。もともと、易経四書五経のなかに入っているので、儒学にとっては重要な書ではあるものの、基本的には占術として広まったので、学問的な側面は忘れられていた。白蛾は、占術と学問とのはざまに成立するのが本来の易の性質であると考えていたようで、どちらか一方に偏る解釈を排しているようだ。

 

物語は、若き白蛾が江戸から京都に出てきて、石田梅岩のところに厄介になるところから始まる。ひょんなことから、白蛾は「秘易」と呼ばれる古代の人骨でできた算木(易の道具)を持っている。この骨の生前の主が朱姫であり、彼女は易の創始者である伏羲と女媧の娘なのだ。彼女は非業の死を遂げている。白蛾が念じると、勝手に算木が動いて卦を表す。その的中は百パーセントなのだ。おかげで白蛾は易者として有名になる。

そんな白蛾のもとに大店の春運堂の娘がやってきて、自分のところに明王札が投げ込まれたので犯人を捜してほしいと依頼がくる。明王札とは、ひらたく言えば脅迫状で、もとめに応じて金を出さないと放火される。大店にはいくつか投げ込まれているが、明王札を投げ込まれると「誰かの恨みをかっている」ことになって外聞が悪く、店の商売にもひびく。なので、皆、こっそり金を払って済ませている。しかし春運堂は戦うという。白蛾が調べてみると、おかしなことに春運堂には娘はいない。依頼者の娘は他人だったのである。さらに、金を置いて行けと言われた場所を見張っていると、子供がやってきて、その金は孤児を集めて養育している寺に持ち帰られているのだった。

その寺には、年齢不詳の尼がいて、どうもその尼は、何年も前に焼失した近所の神社にゆかりの者であるらしい。その神社こそ、秘易を日本に持ち帰った吉備真備の流れをくむ神社であった。そして、白蛾の持つ秘易を付け狙う者たちも現れて、、、という話。

 

新井白蛾という実在の人物に寄せて書かれてはいるが物語中のどこにも史実に基づいたところはなく、しいて言えば白蛾が京都に来たことくらい。石田梅岩とは同時代の人であるが、白蛾が梅岩宅に寄宿するところから創作であるので、実在の人物を使う必要があったのかどうか。

ストーリーはよく動くが、このいまいち不徹底な時代考証と合わせて、最近流行の「なろう系」のちょっと高尚なくらいのやつ、、、みたいな(苦笑)

評価は☆。

まあ、易経に興味があるのなら。

 

私は、実は学生時代に易に凝っており、学祭では易者の真似事まで出店した。そこそこの的中だったと思うが、易というのは基本的に当たり前のことを積み重ねて推理するので、いわば常識的な判断以外の何物でもないのである。筮竹をとるのは、最後の最後に左右いずれか判断のつかない部分を「えいや」で決めるだけの話なので、極端にいえば、的中率は50%だ(苦笑)。よくある恋愛相談などは、相談者の話を聞いていれば、だいたい常識的に判断できるので、実は筮をとるまでもないのである。

 

そんな易経が教えているのは、実はただ一点で「世の中には、どうにもツイていない時期があるが、そんなときは焦らずに次への準備をしなさい」ということだけなのだ。ああ、ばかばかしい。まさに常識ではないか。

ところが、自分の身に何かが起こると、そうは言えないのだった。実際には、焦って悪あがきをしてしまい、もっと事態を悪くしてしまうのだ。そして深みにはまる。

はたで見ているほど、世の中は簡単ではない、というのが易経から私が学んだことであろうかなあ。