昨日は好天。しかし、自転車でなんとなく遠くに行く気がせず、ふらふらと近所を流す。
そういえば、猫のアンくんが亡くなってから1か月か。。。まだ49日には早いが、思いついて、彼のお葬式をやったお寺に行く。ちょうど慰霊祭をやっている。
天気も良く、日曜日ということもあって、大勢の人が参加されている。本堂に参列者が入りきれず、写真のような別棟のホールでリモート参加となった。ライブビューイングである。
読経が始まり、参列者が次々とご焼香。別棟ホールの人も、順次案内されてご焼香する。私も参加し、手を合わせてきた。
あれから一か月がたち、悲しみも少し癒えた、、、というか、正直に言えば「忘れる」のだと思った。どんなうれしいことも、悲しいことも、時間がたてば少しづつ、その記憶が薄れていく。薄情なようであるが、いつまでもすべてのことに鮮明な記憶が残り続けるとしたら、それはとんでもない苦しさであろうと思う。思えば「忘れる」というのは、人間にとって救いであるかもしれない。
一方で、亡くなっていく身として考えれば「私のことを忘れないでほしい」というのが、最後の願いであるように感じられる。きっといつかは忘れられる、それはわかっているのだけど、でも、寂しいから忘れないでほしい、そういう願いがあるだろう。
法事で49日とか1周忌とかいうけど、つまりは、故人のことを少しは記憶にとどめておきたいという、ささやかな願いがそうさせるのかもしれない。
で、ふと気になって調べてみたら、、、アンくんの亡くなった日から、ちょうど49日を数えると、彼の飼い主さんの誕生日なのであった。
魂魄は、死後も49日間はそこに留まるという。猫の最後の願いが、彼の飼い主の誕生日まではこの世にいたいというものであったとしたら、その思いにはただ圧倒されるばかりである。
こういうことは、まんざらない話ではない、と思っている。