Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

55

「55」ジェイムズ・デラーギー。

 

なんと、数字だけというタイトルのミステリである。著者のデビュー作であるようだ。

 

オーストラリアの内陸部、5人しか署員がいない田舎町の警察署に、一人の血塗れの男が逃げ込んできて助けを求める。男の名はゲイブリエル。沿岸部からヒッチハイクしてきた若い男で、どこかの農場で働こうと思っていた。つまり、現在無職である。ヒッチハイクに応じてくれた男に勧められた飲み物を飲んだら、意識を失い、気が付くとどこかの小屋に監禁されていた。その犯人は男に暴力をふるい、あとで殺してやる、お前は55番だと言って、どこかに立ち去った。そのすきにゲイブリエルは必死に拘束を抜けて逃げてきたのだという。

警察署の署長のチャンドラーは、いったんゲイブリエルを近くのホテルに保護することにした。と同時に、もしも本当に「55番」だとしたら、これは歴史的なシリアルキラー(連続殺人犯ということになる。なんとか犯人を捕まえねばならないが、たった5人の署員では捜査は困難である。やむなく、チャンドラーは本部に応援を求めるが、その本部でチャンドラーの上司として指示しているのは、かつての同僚だったミッチなのだ。元同僚に部下として指示を仰ぐのはチャンドラーにとっても気が進まないが、やむをえなかった。

そこに、もう一人の男が、やはり血まみれで逃げ込んでくる。男の名はヒースといった。そこでヒースが述べた事情は驚くべきものだった。なんと、先刻保護したゲイブリエルと瓜二つの証言をしたのだ。しかも、ヒースの話を聞けば、犯人の年恰好はまったくゲイブリエルのそれと一致する。

とりあえず、チャンドラーはヒースを保護の名目で署内の留置場に入れる。そこにミッチがやってくる。さて、どっちが嘘をついているのか。あるいは、二人とも嘘をついており、二人がした話そのものがでっちあげなのか。しかし、証言をもとに捜索をすると、なんと6人の人間を殺害して埋めた場所がみつかった。

ミッチの二人に対する尋問が始まるが、彼は録画を切って、取調室でゲイブリエルに拷問を加える。それに気づいたチャンドラーは拷問をやめさせ、二人は険悪になる。ミッチとチャンドラーは、容疑者二人をそのまま放免することはできないと考え、どちらか一人は被害者の可能性はあるものの、やむなく二人とも起訴することにした。予備審問の法廷に立たされた二人だが、拷問の間にゲイブリエルはミッチから手錠のカギを盗んでおり、手錠を振りほどいて逃亡してしまう。

逃げたゲイブリエルの捜索が始まるが、これはチャンドラーとミッチにとっては苦い記憶を呼び戻す出来事だった。10年前に、二人はハイキング中に遭難した男性の捜索を行い、失敗していたのだ。オーストラリアの内陸部は、地図で見ると砂漠だが、実際は低山を灌木が覆っている風景がえんえんと続き、しかも水は乏しい。発見は困難で、多くの行方不明になった人は見つからずにどこかで野生動物の餌になってしまう。

そうするうちに、警察署にゲイブリエルから電話がかかってくる。彼は「55」をやめて、今度は「90」を殺す、という。大量殺人の予告に対して、さらにヘリまで動員して大捜索が始まる。そんな中、チャンドラーは「90」の意味に気づく。これは「90人」ではなくて「90番」という意味ではないか?

真相に気づいたチャンドラーのもとに、ゲイブリエルから電話がかかってくる。「90番」は、チャンドラーの娘のことだったのだ。

ゲイブリエルは、ヒースを連れてくれば娘を返してやるという。チャンドラーは、取引に応じるふりをしてゲイブリエルを罠にはめようとするが、そこで思わぬ手違いが生じるのだった。。。

 

とんでもない冒頭から始まって、次から次へと予想外の事態が進展していく。そこに張られた伏線が見事である。特に、チャンドラーとミッチの過去、10年前の捜索失敗した事件が、ラストに向けてものすごく重要になってくるのである。

小説とは、こういうふうに書くんだよ、というお手本のようだ。つまり、文句なく面白くできている。

評価は☆☆。

 

この小説の背景として、オーストラリアの過酷な自然がある。オーストラリア大陸は、沿岸部のシドニーやパースを除けば、内陸部に行くと農場ばかりで、ほかに何もない土地なのである。「砂漠」というと、日本人は鳥取砂丘のような砂ばかりの風景を思いうかべるが、実際に世界の「砂漠」は、農業が不可能で水が乏しく荒れた灌木ばかりが生える大地がえんえんと続いているものが主流なのだ。丘も低山もあるが、それだけ。川はない。およそ、人が生きていける環境ではない。町から砂漠に迷い込んで、数キロもいけば、もう右も左もわからない。ヘリが上空から飛んでも、灌木で何も見えない。そのうち、遭難者の生命が尽きるほかないのである。

思えば、日本は放っておけばそこらに青草が生えまくって、草取りに難儀する国柄であるが、それは大陸の中では少数派の国であるのだ。「勝手に生える」という世界観が、そういう国にはない。なので「自然に」そうなってしまう、という理屈は通用せず、必ず「何かがそうさせる」という見方をとる。それが科学を発展させた原動力であろうが、一方でマルクス主義のような哲学も生み出したと思っている。