Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

大本営が震えた日

大本営が震えた日」吉村昭

 

昭和16年12月8日、日本は英米蘭に宣戦布告し、史上に残る奇襲作戦で開戦するのだが、その前夜を描いた作品である。初出が昭和43年ということで、当時は生存していた当事者たちに実際に取材をされた記録文学で、それだけに価値がある。

 

本書は、連作短編集として読むことができると思うが、冒頭の「上海号墜落事故」については初めて知った。開戦に先立つ12月1日に、台湾から出発して支那大陸南部の汕頭付近を飛行していたDC3旅客機「上海号」が悪天候のために、墜落事故を起こしてしまう。問題なのは、この機に陸軍のマレー作戦の作戦計画が積まれていたことだった。暗号送信では細部については伝えきれないので、書面にして陸軍の坂本少佐が持参する途上だったのである。

大本営は苦悩した。当時の汕頭から広州あたりは国民党軍の勢力範囲であり、もしも墜落した機体が敵の手に渡れば、マレーの奇襲作戦が漏れる。もちろん、日本の開戦意図を知れば、敵の警備は一層厳重になり、真珠湾も失敗するだろう。大本営は「海に落ちていてくれ」と思わず祈ったのだが、残念ながら、機体は山中に墜落していた。

生存者が数名いる中、敵の手が迫る。日本軍は、爆撃機を発信して、生き残った人員ともども、機体を爆破して始末しようとする。しかし、悪天候のため、なかなかうまくいかない。ところが、実は、生存者の中に、作戦計画を持参していた坂本少佐がいて、幸い負傷も軽く、もうひとりの生き残り下士官と二人で作戦書は始末するのに成功していた。そして、作戦計画を始末したことを伝えるため、二人は的中突破して味方にそのことを伝えようとするのだが、坂本少佐はゲリラの手にかかって斬首されていた。。。

大本営が、作戦計画書の廃棄を知ったのは、12月8日の開戦後であった。

 

そのほか、マレー作戦、真珠湾作戦の主に機密保持について、大変な苦闘をした記録が続いている。

 

評価は☆☆。実際に取材したためであろうか、とにかく迫力がすごい。また、イデオロギー的に偏りがなく、まさに「記録文学」に徹している。素晴らしい作品である。

 

ところで。

戦後の俗説に「米国は真珠湾作戦を知っていて、日本にわざと先に手を出させた」というのがある。アメリカの陰謀だと、いまだにこの説を信じている人もたくさんいる。が、それは違うのである。

アメリカが日本の暗号通信を解読していたのは事実だが、それは外務省の暗号だった。それで、実は日本が2時間おくれで宣戦布告する前に、すでにアメリカはそれを知っていたのである。しかし、真珠湾作戦については知らなかった。実は、日本の外務省もそれを知らなかった。戦前は、統帥権は政治の統治権とは独立していたので、軍の作戦計画については、政府は知らないのが当然だった。米国が日本海軍の暗号を解読するのは、ミッドウェイ作戦の前であって、それで待ち伏せをするのである。

ハル国務長官が、日本の宣戦布告にやってきた大使に「今ごろ、何しにやってきた!」と怒鳴りつけたのは、実は「とっくに宣戦布告は知っていたが、まさか真珠湾が襲われるとは思っておらず、こてんぱんにやられたので腹立ち紛れにどなった」のが真相である。本書の最後に詳しく描写されている。

 

歴史を知るには、きちんと取材された本を読むことが必要だ。「いいね!」を集めるネットでは、俗説だろうとインチキだろうと、とにかくウケそうな話を並べればいい。事実に迫りたければ、自分で一文字づつ活字を追うこと。当たり前の話なのだが、それを知らない人が多いのは、仕方がないことなのかなあ。