Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

コンサルは会社の害毒である

「コンサルは会社の害毒である」中村和己。

私は新卒で中堅コンサル会社に入社し、社会人生活をスタートさせた。
その判断が良かったのかどうか、今でもわからないが、勉強になったことは確かである。
いわゆるサラリーマンのスキルアップとはまったく異なるルートを歩むことになった。
おかげで人生ジェットコースターを味わう羽目になったわけで、刺激的といえばそうだし、どえらい苦労といえばそうである。
まあ、何を言っても今さら、ということなのである。

さて、本書はコンサル本人によるコンサル告発の書である。
簡単にいえば、「日本ではコンサルは使い物になりません」というのが結論である。
日本のコンサル市場は米国の1/10、ドイツの1/8しかないという。
「高くて役に立たない」ので、当然の結果である。

なぜ日本でコンサルは役に立たないのか。
環境の問題、手法の問題、文化の問題がある。

環境の問題だが、欧米は実は日本とは比べ物にならないくらいの階層社会である。人種問題とか格差とかで騒ぐのは、それなりの背景がある。
お金持ちの師弟が米国であればハーバードやイェール、コロンビアといった一流大学に入る。
米国の大学は、金さえ出せば推薦で入れるところが多い。(卒業は大変らしいが)
すると、周りはそういう連中ばかりである。
そこで、そういうハイクラスの連中ばかりで人脈をつくる。(日本でいうと慶応に似ているか)
そこからは「回転ドア」となる。上場企業の役員、政府系の官僚、コンサルを順繰りに回る、という経歴を積むのである。
米国の官僚は「政治任用」なので、日本のように公務員試験を受けて一生官僚というコースではない。
親しい友人が政治家になると、そいつから「長官に」「局長に」とスカウトが来る。もちろん、政治家が変われば官僚は総入れ替えである。
入れ替わった官僚は企業役員になったり、コンサルになったりするわけだ。
こうして上級国民だけで良い席を回し合いする。
こういう国でのコンサルの仕事は「短期で利益を上げること」=「首切り」である。
コンサルは、高い金をもらって人員整理をするのが仕事なのである。そうすれば、短期的に利益があがるわけだ。
どうせ知り合いの企業役員は、そのうち「回転ドア」で次のステージに行くので、長期のことを考える必要はない。せいぜい3〜4年の任期に利益をあげて、ごっそり報酬を貰えばよいのである。

コンサルが使う手法も、問題がある。
コンサルの主な武器である「問題解決手法」は、実は問題を解決できない。「解決するというプレゼン」はできる(笑)
経営学の進歩によって、コンサルの問題解決手法がいかに個人の趣味によるものか、分析ができていないかが如実に明らかになった。
今では、分析がほしければ、もっと良い手法がいくらでもある。

文化の問題で言えば、実は日本企業はアメリカの会社のように「利益をあげたい(株主が強い)」がない。
ほとんどその会社のプロパーで上がってきた日本企業のトップの要求は、会社という共同体をうまく運営することなので、短期的に利益を追求することはない。
それに対して強硬に文句を言う株主もまずいない。
だから、コンサル流の合理化(リストラ)手法をとる必要もない。
人員整理をしないコンサルは、契約期間中に目立った業績を上げることは出来ないので、やたら立派なプレゼンに高額な金を払っただけに終わる。
欧米企業と違って、担当者がすぐクビになることもないので、コンサルの失敗は忘れられることがなく「高いだけでひどい目にあった」という評判が残り続け、結果としてコンサル市場を失うことになる。


評価は☆☆。
かつて、同じ業界に属していた者としていうが、この本は一面の真実を言い当てている。
実際に、コンサル会社出身者の社長がコンサルを雇わないんだから、何をか言わんやだよなあ(苦笑)。

実は、コンサルというのは、社員研修屋さんだと思えばよいのである。
社内講師には限界があるので、たまには違う色でメリハリをつけよう、それで良いのである。
あとは料金の高低だけの問題なので、適当に妥協できる金額なら、それで良いと思う。
少しは気の利いたことをしゃべる、その程度のスキルを持っている人は結構いるんだから。