Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

立場の一貫性について

痴漢の問題と原爆の問題を比較してみよう。
痴漢と原爆のどこに関連があるというのか?それを明らかにしよう。

「痴漢は犯罪です」は、当然のことである。
であるから、痴漢は逮捕されて、裁判を受けることになる。
その痴漢を弁護する弁護士が「被害者が、そのような犯罪を誘発するような恰好をしていたのがいけない。被害者にも落ち度があるのだ」と主張したらいかがであろうか?

このような主張に対して「もっともだ」という人と「そりゃ違うだろ!」という人の両方がいるであろう。「そりゃ違う」派の人の言い分を簡単に申せば、
「実際に痴漢をしたのは犯人であるから、責任は当然、痴漢の犯人にあるのであって、その責任を被害者に押しつけるのは、責任のすり替えであり、絶対容認できない」となるであろう。
その弁護手法そのものを批判さえするであろう。

ところで。
このような論法が、原爆に関するA級戦犯の責任であるようだ。
いわく「原爆を落とされるまで、戦争を続けたのはA級戦犯の責任」という議論である。

もうお分かりであろう。
日本は被害者であり、原子爆弾の投下による非戦闘員の大量死という戦時国際法違反の犯罪を犯したのはアメリカなのである。
原爆投下の米国が犯人であることは、誰でも知っていることであろう。
A級戦犯というが、被害国の日本側の人間である。
すなわち、「やられるほうにも油断があったのがいけない」と言っているのである。
「やった人じゃなくて、やられた奴に落ち度がある」と言っているのである。その落ち度がある人を、A級戦犯と呼んでいるのである。

自分が不思議なのは「原爆投下はA級戦犯に責任がある」という同じ人が「痴漢の被害者にも責任がある」とは、なかなか申されないことである。
人によっては、平然とこの相矛盾する主張をなされる(笑)
では、この人の論理の一貫性は、いったいどうなっておるのか?まことに不思議である。
「原爆投下責任は、当然米国にある」という人は「痴漢犯罪の責任は、当然犯人にある」であり、被害者側に責任を求めようとするならば「責任のすり替え」として指摘し得る。一貫した論理である。

そのときそのときで、自分のよって立つところがコロコロ変わる人の、いったい、どこにロゴスがあるのであろうか?
このとき、彼は「主張」をもっていると、果たして言い得るであろうか?