Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

百姓から見た戦国大名

「百姓から見た戦国大名黒田基樹

nazunaさんのお勧めに従って読んだ。なるほど、これは斬新な視点である。

戦国大名といえば、とにかく武力で百姓を押さえつけて、領国拡張のために戦争ばかりしていたようなイメージがある。「支配者-戦国大名」「被支配者-百姓」という簡単な図式である。で、本書は、そのような単純な図式に対する「異議申し立て」の書である。

まず、戦国時代は飢饉の時代である。これは、環境学名古屋大学の武田教授などが指摘している話なのだけど、この時代は世界的に「小氷河期」だったと考えられている。(だから、逆に現在の地球温暖化が、実はただの小氷河期から温暖期に向かうサイクルにすぎないのじゃないか?という疑問も提出されるわけだ)
で、当時の農業技術では、このような気候に対して無力である。必然的に飢饉となる。

百姓は生きていかなくてはならないから、農業の基本となる水利権や入会地を巡って争いが起きる。個々の百姓同士の争いが、近隣を巻き込んで村対村の抗争になる。そのうち、村同士でいざという場合に助け合う「同盟関係」が出来る。これが「家中」である。これらの「家中」同士が抗争すると、もはやタダではすまない。必ず死人が出る騒ぎとなる。そこで、ただの武力闘争を止めて、互いに権利を調整しようという動きが生じる。その上に載っかった存在が「戦国大名」だというわけである。つまり「戦国大名」は、村同士の武力抗争を押さえて、それぞれが生き延びていくためのバランス装置であり、単に「大名が村を支配する」という片務契約ではなく「大名が村を保護する」そのかわりに「村は大名に協力(納税や徴兵)する」という契約が成立していた、ということである。

それでも、飢饉が起こる。すると、村は食えなくなる。そこで、戦国大名は戦争を起こすのである。それは、百姓達に「略奪」をさせるため、である。そうしてでも食わせていかなければ、大名自身の地位を維持することはできないわけだ。

なんともすさまじい修羅の世界ではあるが、それぞれの「事情」があって、やはり戦国社会は成り立っていたということなのだなぁ。つまり、百姓は大名の「奴隷」ではないのだよ、うん。

評価は☆☆。
かなり面白い本だと思う。この時代に興味を持つ人は読んで損はないのじゃないかな。

ところで、経営における「リーダーシップ論」に、バーナードという人が唱えた「権威受容説」というのがある。これは、リーダーとは、本人がリーダーらしいとか何とかではなくて、「部下がリーダーを『リーダーである』と受容することによって、リーダーとなる」という説である。ひどく単純に説明してしまうと、上司と部下の関係では「部下が先で上司が後に生まれる」鶏とタマゴのように「どっちが先?」のような議論はなくて、明確に「部下が(実質は)上司をつくる」という説なのである。
これ、この本と似ているなあ、と思ったのである。

そうそう、小学校の運動会のとき、運動音痴の私はかけっこでいつもビリから数えた方が早かったが、母親が「頑張ってな」と言ったら「うん。僕がいなけりゃ一等ができんもんなぁ」と応えたそうである。確かに、ビリがいなけりゃ一等は存在できない。小学校2年生の私だが、本人は既に記憶にない。その頃から屁理屈をこねていた子どもだったのだ(笑)まったく余計だが、そんな話を思い出したよ。