Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

実は悲惨な公務員

「実は悲惨な公務員」山本直治。

著者は元キャリアであって、公務員を退職。その後、民間で勤務し、その自らの体験をもとに一面的な「公務員バッシング」に一石を投じる。
おんぼろな公務員宿舎とか、あわれな霞ヶ関官僚の勤務実態。すさまじい徴税や生活保護ケースワーカーの現場。
バッシング報道しかしないマスコミ、などなど。

評価は☆。なるほどね、という感じはある。
しかし、である。

本書の冒頭のテーマとしてある「そもそも、公務員に東大卒の優秀な人間を採用する必要があるか」という問題が、かなり中途半端である。
私は、正直にいえば、そこに現在の「公務員バッシング」の根本があると思うのだ。

片山前鳥取県知事のお膝元である鳥取県庁で、あるテレビ取材を受けた県庁職員が「私たちは優秀なんだから、待遇が良いのは当然」だと発言して物議を醸したことがある。
本書においても、民間よりも給料が高い公務員といわれつつ、実は同期の東大卒と比較すれば、官僚の給与は安いという点が指摘される。
このような比較を行うこと自体に、私は異議がある。
そこにあるのは、国家のグランドデザイン、成長ステージに応じた人材資源配分の問題という点だ。

かつての日本が、敗戦から高度経済成長に舵を切る間というのは、会社で言えば創業発展期にあたる。この時期は、とにかく食っていくのが大変だし、資金繰りも大変だが、何よりも問題なのは設備投資である。ここで、充分な設備投資ができなければ、一生浮かび上がることはないからだ。
日本が「傾斜生産方式」を採用し、その後一気に「土建国家」への道をつき進んだのも、根本的には日本が発展途上国で東西冷戦という「市場のゆがみ」に直面した、すなわち「一大顧客を見いだした中小企業」だったと思えば納得である。
ここで、ばんばん設備投資をすればするほど、その後の儲けにつながる。資源の配分は、そういう意味で日本株式会社の一大テーマであった。経営戦略そのものであった。すなわち、この時期の官僚は、会社で言えば「経営企画室」である。優秀な人材を投入せねばならなかったし、そのリターンも充分にあったと言える。
しかしながら、時は移り、がむしゃらな高度成長は終わった。もはや、設備投資の時代ではない。投機的な投資がリターンを産む市場の背景がないのである。これからは、バランスシートが大事である。ある程度、古参社員も増えて、安定的な経営を志向せねばならなくなったといえる。
このような時に、官僚の役目はどう変わるであろうか。
すでに、積極経営に必要な「経営管理室」が花形の時代ではないのだ。この時期の間接人員の主な職場は「総務部」である。複利厚生や直接人員のサポートが主な仕事である。ここに、東大卒をはめ込むだろうか?
そうではあるまい。会社も大きくなると、いつしか間接部門がふくれて「直間比率」の是正が必要となる。固定費が増え続けているのに歯止めをかけ、人員を積極的に直接部門、すなわち営業部へ配属せねばならない。
「入るを計って出るを制す」が必要である。
さて、国家にとって「直接部門」とは何か。それは「入る」つまり「納税者」である。
我が国は、優秀な人材を民間に配置せねばならない時代に入った。

巷間鑑みるに、これからの間接部門の主業務は「福利厚生」すなわち福祉がテーマだろう。国民の高齢化がすすんでいるのであるから、これは避けては通れない。
しかし、だからと言って、優秀な人材を総務部に優先的に回すことなど、普通はしない。まず財源を確保する営業部門から優秀な人材を振り向ける。そうしなければ、福祉もできない道理である。

東大卒の学生が、官僚を志向しなくなって来ているのだと言う。私は、それをとても良いことだと思う。
このまま「役人バッシング」が続けば、きっと「優秀な人材」は役人になることを嫌うだろう。結果、彼らは良き納税者となる。
これこそ、時代の流れのように思うのだけどどうだろうか。