Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

哀愁の町に霧が降るのだ

「哀愁の町に霧が降るのだ」椎名誠

東京小岩の昼なお暗い陋屋アパートで、青春時代を過ごす著者達の自伝的作品。
このアパートから椎名誠はじめ、弁護士の木村晋介イラストレータ沢野ひとし等のユニークな才能が輩出されていくのである。

小説のはじまりで、椎名誠は「書き下ろし」をやるぞ、といって温泉地に行き、やっぱりかけませんという話をうだうだと書く。
それ自体が小説になっていくのだ、と言い訳をする。
たしかに、そうなっていくのだが、これは一見冗長な始まり方である。
ただ、あとでよくよく考えてみると、この導入がなければ、いきなり回顧譚になっても可笑しいだろう。
これはこれで、うまく考えられた導入であるかもしれない。

喧嘩に明け暮れ、酒ばかりくらっている男達は、薄暗いアパートで共同生活をしながら、サバ鍋(鯖の缶詰で鍋をする)をつつき、ゴールデンなんとかという合成酒(偽物の清酒)を飲む。
カネがないから、その工面をするのだが、それは各自の才覚によっており、しかも稼いでくると皆で飲んでしまうのだ。
原始共産制ぽくあるのだが、しかし、完全な原始共産制ではうまくいかなかったと著者は最初に白状する。
であるから、最低限のカネを自分で確保した上で、剰余財産(そんなもの、ありはしないのだが)が飲み代になるのである。
この飲み会の描写が、くだらない会話ともども抱腹絶倒モノである。

評価は☆☆。
あまりこの著者の作品を知らないが、この本は面白い。

思い出せば、私自身、地方出身で東京の大学に行き、周囲も揃ってカネのない奴ばかりの世界だった。
なんとなく、そのうち何かやってやろうという程度の考えはあったが、しかし皆目具体的な見当はついていなかった。
社会人になるのは、不自由になることでもあり、一方で自分の腕試しというような感じもあった。
気がついてみれば、今の自分は大学時代と変わらないように思える。
使命などというものを実感するようなことはないし、それは自分で決めなければないものだということも分かった。
社会は腕試しの場でもあり、しかし、不自由な世界でもあった。
とにかく、自由だろうがカネだろうが使命だろうが義務だろうが、すべては自分が得ていかなければならないのである。
その原点において、やっぱり貧乏しながら酒を友人と飲んでいた地点に戻ってしまうのだ。
今では、あの時と同じ気持ちで、酒を飲むことはできない。
旧友とたまに会えば心楽しいが、しかし、どこかで甘えちゃいかんという妙な後ろめたさもある。
純粋な出発の酒は、そのときにしか味わえないものだとしみじみ思う。

私達の若い頃は、友人のアパートで飲む酒は安ウィスキーであった。
今日のように焼酎は流行していなかったし、ビールは不経済だ。日本酒はたまに飲んだが、やはり安酒は悪酔いする。
安ウィスキーは、自分が好きなように割って飲めばよかったし、安くてもニッカは旨かった。

今でも、夜眠れないときに、ウィスキーの水割りをなめるくせがある。
決まって、安い銘柄である。高い酒だと、なんとなく、腑抜けになった気がするのだ。
そいつを飲み、逡巡し、ええいままよと思って寝る。
そんな生活を、今でも続けているのである。