Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

捕虜収容所の死

「捕虜収容所の死」マイケル・ギルバート。

 

ミステリ好きの「トップ・テン」くらいには、必ず入ると言われる名作。
まだ未読だったので、思い立って読む。

 

第二次大戦中のイタリアで、英国軍の士官たちが収容されている収容所である。
欧州は階級社会なので、捕虜たちは、それなりの待遇を与えられている。
とはいっても、いちぼん良い部屋で6人の相部屋のだが。
捕虜たちは、運動時間にグランドでクリケットをやったり、ラグビーをやったり、さらには所内で劇団をつくって劇の公演をしたりする。
このあたりが重要な要素になる。

 

捕虜たちは、秘密のトンネルを掘って脱出を計画しているのだが、一人が、そのトンネル内で死亡しているのが発見される。
ところが、トンネル入り口は、男が4人がかりでないと開けられない仕掛け扉になっている。
どうして、被害者は一人でトンネル内で死亡したのか?四人の共犯がいないと(さらには、トンネル内で殺害したとすれば、犯人含めて5人)不可能だが、該当者はいない。
とりあえず、死体の処置に困ると考えた捕虜たちは、死亡した被害者を別のトンネルに運び込み、そのトンネルの落盤事故で死んだと偽装してイタリア側に報告する。
イタリア側は、ただちにトンネル内で捜査を行い、落盤事故が偽装であることを指摘した上で、その偽装工作をした捕虜を殺人犯として処刑するという。
ところが、そこへニュースが来る。
ムッソリーニが失脚。イタリアは、連合軍に降伏する可能性が高まり、英軍はシチリア島に上陸。
ここで、捕虜がドイツに引き渡されるという情報を捕虜側は探知する。
ドイツに送られれば、捕虜の生命は危うい。
捕虜たちは、死亡事件の真相解明をとりあえず行い、その直後に、大脱走を行う。
終盤は、ドイツ側の追手から逃れながらの山中の逃避行になる。
そして、ついに、英軍内のスパイの存在が明らかにされることになる。

 

評価は☆☆。
さすがの名作である。
謎解きと、収容所内の生き生きとした描写、さらには国際情勢の反映。
サスペンス的な要素もたっぷり。
最後まで、まさに巻をおく能わざる、というところ。

 

ところで。
日本では、収容所ものの作品といえば、まずは会田雄次「アーロン収容所」であろうと思う。
本書の作者も、やはり収容所くらしの実体験があるそうだ。
読んで思うことは、同じ捕虜でも、日本と英軍と、まったく扱いが違うことである。
アーロン収容所における日本捕虜は、人間としての扱いを受けていない。
戦時国際法に抵触しない範囲に注意をしているが、あきらかに「家畜」として扱われる。
一方、本書中の英軍を、イタリア側は、それなりに人間として扱っている。
もちろん、食事や住居が粗末なことは、同じであるのだが、根本的なところで、違うのだ。
たとえば、捕虜間の命令系統の尊重とか、あるいは、自治の範囲などである。

 

これを、たとえば人種差別の一つ、とみることは容易いし、そういう見方も勿論可能である。
しかし、私はもう一つ、冒頭で指摘したように欧州の「階級社会」があると思うのである。
英国の士官学校卒は、基本的に貴族や騎士に属する。
国は異なっても、伯爵は伯爵だし、騎士は騎士なのである。
ところが、日本はことなる。
明治政府は、欧州の貴族制度を日本にも輸入したが、士族が騎士だという話にはならなかった。
根本的な文化の相違がある。

 

おそらく、現在は様相が異なるが、それは欧米から日本の文化が尊敬を勝ち得てきたからである。
サムライやショーグンが、欧米の貴族や騎士に匹敵するプライドがあることは、今の状況なら用意に理解させられるであろう。
そういう意味では、文化の力は、戦争という極限的な状況であっても、なお、作用していると思うのである。

 

私もそうだが、海外旅行に行って、実は日本の文化について外国人に説明しようとしても、和服ひとつ着られぬでは、話にならないわけだ。
実は、そんなことができるほうが、よほど国際化なのだと思うのだなあ。